人生を賭けて登る山を見つける(自己紹介)
60歳になった時に残るもの
私は某国立系病院で薬剤師として勤務しているアラサーです。彼女もいましたし、このまなんとなく生きて、なんとなく家族になって、なんとなく子供育てて生きていくのかなーなんてぼんやり考えてきました。
大学を卒業した時には、とりあえず早くお金が欲しくて就職したました。 今の職場での待遇には不満はありません。決して高給ではありませんが生きていくには困らないですし、そもそも仕事内容に見合った給料だと思っています。またコロナ禍でも仕事を失う心配はありませんでした。
しかし半年前に彼女と別れました。別れざるを得なくなりました。
別れた後、思いました。このままこの組織で働いていても、60歳で定年になったときに自分には何が残っているのだろうか。60歳どころか、今の自分に何が残っているのか。半年ほど悩みに悩みました。正確には悩む過程で日本社会への恨みすら感じていたと思います。
コロナ禍における株式投資
開設手続きを始めていた初めての証券口座の開設が完了したのはちょうどコロナショック渦中でした。当時は買うタイミングなんて何も考えずに米国S&P500連動型のインデックスファンドやアップル株をとりあえず買っていました。またTwitterで見て興味を持ったソフトバンクグループ株を買ったりしていました。特にすごい信念を持って株式投資を行なっていたわけではありませんが、相場のおかげでなかなかのリターンを得ることができました。
彼女との別れと投資での利益を経て
私は大学生時代に研究室での研究にのめり込みまして、最終的に英語論文を投稿する成果を出しました。当時の指導教授からも大学院への進学を勧められました。しかし私は断りました。お金が欲しかったからです。また進学すると結婚が遅くなると思ったからです。
しかし、株式投資で利益を出してみると、お金というものがちっぽけなもに感じられました。こんなもののために自分は日々働いているのか、このまま資産が増えていってその資産で何をするのか、わからなくなってしまいました。また彼女と別れてから、結婚などのライフイベントを理由にやりたいことを我慢するのはもったいないと考えるようになりました。
人生を賭けて登る山
孫さんが言っています。「自分の夢も明確に持たずに、自分の人生に対するビジョンも持たずに、ただ生きていくために給料をもらいにいく。そんなことをしている間に人生あっという間に終わる」と。
決めました。私は大学院に進学し世界に情報発信できる研究能力を持った薬剤師になります。これが、私が人生を賭けて登る山です。
試験は7月。こんなブログを書いている場合ではないのかも知れないですがどうか見守っていただけると嬉しいです。